弁護士出身の最高裁判所裁判官の一覧

第0 目次

第1 弁護士出身の最高裁判所裁判官の氏名の推移
第2 日弁連推薦以外の弁護士が最高裁判所判事に就任した事例
第3 弁護士出身の最高裁判所判事の任期が短い理由
第4 弁護士出身の最高裁判所判事の就任体験談
第5 最高裁判所判事の旧姓使用等
第6 大阪弁護士会出身の最高裁判所判事の一覧
第7 日弁連最高裁判所裁判官推薦諮問委員会
第8 その他

*1 以下の記事も参照してください。
① 幹部裁判官の名簿
② 最高裁判所裁判官国民審査
③ 第24回最高裁判所裁判官国民審査
④ 最高裁判所判事任命の閣議書
*2 歴代の幹部裁判官の名簿も参照してください。
① 歴代の幹部裁判官の一覧表(平成14年度から平成28年度まで)
② 歴代の幹部裁判官の一覧表(平成4年度から平成13年度まで)
③ 歴代の幹部裁判官の一覧表(昭和56年度から平成3年度まで)
*3 首相官邸HPの「日弁連最高裁判所裁判官推薦諮問委員会に関する資料」(平成14年11月12日付)に,最高裁判所裁判官候補者の推薦基準,日本弁護士連合会が推薦する最高裁判所裁判官候補者の選考に関する運用基準(平成5年7月16日理事会議決)が載っています。
*4 国立国会図書館HPの「調査と情報」に,「戦後の我が国における主要政党の変遷」(2019年2月28日発行)が載っています。

第1 弁護士出身の最高裁判所裁判官の氏名の推移

◯昭和22年8月4日から平成2年1月3日までの,弁護士出身の最高裁判所裁判官の氏名は以下のとおりであり,昭和36年12月30日から昭和38年12月12日までの間,弁護士出身の最高裁判所判事は2人しかいませんでした。
   また,弁護士出身の最高裁判所判事が実質的に5人だった時期は,①昭和22年8月4日から昭和23年6月28日までの間,②昭和26年10月5日から同年11月30日までの間及び③昭和45年7月31日から昭和46年4月26日までの間だけでした(山口厚最高裁判所判事が弁護士出身であるとした場合,④平成29年2月26日から同年3月30日までの間も含まれます。)。

1 昭和22年8月4日,三淵忠彦(元 三井信託銀行法律顧問)が初代最高裁判所長官となる。
① 昭和22年 8月 4日~ :塚崎直義(元 東弁会長),長谷川太一郎(元 一弁会長),真野毅(元 二弁会長),小谷勝重(元 大弁会長),庄野理一(東弁出身)
②   昭和23年 6月29日~:塚崎直義,長谷川太一郎,真野毅,小谷勝重


2 昭和25年3月3日,田中耕太郎(元 文部大臣)が第2代最高裁判所長官となる。
① 昭和26年 2月15日~:長谷川太一郎,真野毅,小谷勝重

② 昭和26年 4月12日~:長谷川太一郎,真野毅,小谷勝重,谷村唯一郎(元 東弁会長)
③ 昭和26年10月 5日~:長谷川太一郎,真野毅,小谷勝重,谷村唯一郎,本村善太郎(一弁出身)
④ 昭和26年12月 1日~:真野毅,小谷勝重,谷村唯一郎,本村善太郎

⑤ 昭和31年11月11日~:真野毅,小谷勝重,本村善太郎
⑥ 昭和31年11月22日~:真野毅,小谷勝重,本村善太郎,河村大助(東弁出身)
⑦ 昭和32年 1月15日~:真野毅,小谷勝重,河村大助
⑧ 昭和32年 1月30日~:真野毅,小谷勝重,河村大助,高橋潔(一弁出身)
⑨ 昭和33年 6月 9日~:小谷勝重,河村大助,高橋潔

3 昭和35年10月25日,横田喜三郎(元 東京大学法学部長)が第3代最高裁判所長官となる。
① 昭和35年12月24日~:河村大助,高橋潔

② 昭和35年12月27日~:河村大助,高橋潔,山田作之助(神戸弁出身)
③ 昭和36年12月30日~:河村大助,山田作之助
④ 昭和38年 6月 2日~:山田作之助
⑤ 昭和38年 6月 6日~:山田作之助,城戸芳彦(東弁出身)
⑥ 昭和38年12月13日~:山田作之助,城戸芳彦,柏原語六(東弁出身)

⑦ 昭和41年 4月22日~:城戸芳彦,柏原語六
⑧ 昭和41年 5月10日~:城戸芳彦,柏原語六,色川幸太郎(元 大弁会長)

4 昭和41年8月6日,横田正俊(元 東京高等裁判所長官)が第4代最高裁判所長官となる。
① 昭和42年 1月17日~:城戸芳彦,柏原語六,色川幸太郎,松本正雄(元 二弁会長)

② 昭和42年 9月20日~:城戸芳彦,色川幸太郎,松本正雄,飯村義美(元 東弁副会長)

5 昭和44年1月11日,石田和外(元 東京高等裁判所長官)が第5代最高裁判所長官となる。
① 昭和45年 7月31日~:城戸芳彦,色川幸太郎,松本正雄,飯村義美,藤林益三(一弁出身)
② 昭和45年12月20日~:色川幸太郎,松本正雄,飯村義美,藤林益三
③ 昭和45年12月22日~:色川幸太郎,松本正雄,飯村義美,藤林益三,小川信雄(東弁出身)
④ 昭和46年 4月27日~:色川幸太郎,松本正雄,藤林益三,小川信雄
⑤ 昭和46年12月 6日~:色川幸太郎,藤林益三,小川信雄
⑥ 昭和46年12月 7日~:色川幸太郎,藤林益三,小川信雄,坂本吉勝(二弁出身)
⑦ 昭和48年 1月30日~:藤林益三,小川信雄,坂本吉勝
⑧ 昭和48年 2月 2日~:藤林益三,小川信雄,坂本吉勝,大塚喜一郎(一弁出身)

6 昭和48年5月21日,村上朝一(元 東京高等裁判所長官)が第6代最高裁判所長官となる。
① 昭和50年 8月 7日:藤林益三,坂本吉勝,大塚喜一郎
② 昭和50年 8月 8日~:藤林益三,坂本吉勝,大塚喜一郎,本林譲(元 日弁連事務総長)
③ 昭和51年 3月27日~:藤林益三,大塚喜一郎,本林譲,環昌一(二弁出身)

7 昭和51年5月25日,藤林益三(一弁出身)が第7代最高裁判所長官となる。

8 昭和52年8月26日,岡原昌男(元 大阪高等検察庁検事長)が第8代最高裁判所長官となる。
① 昭和52年 8月26日~:大塚喜一郎,本林譲,環昌一,本山亨(名古屋弁出身)
② 昭和54年 3月31日~:大塚喜一郎,環昌一,本山亨

9 昭和54年4月2日,服部高顕(元 大阪高等裁判所長官)が第9代最高裁判所長官となる。
① 昭和54年 4月 2日~:大塚喜一郎,環昌一,本山亨,塚本重頼(東弁出身)
② 昭和55年 2月 5日:環昌一,本山亨,塚本重頼
③ 昭和55年 2月 6日~:環昌一,本山亨,塚本重頼,宮崎梧一(一弁出身)
④ 昭和56年10月18日~:環昌一,本山亨,宮崎梧一
⑤ 昭和56年11月 2日~:環昌一,本山亨,宮崎梧一,大橋進(東弁出身)
⑥ 昭和57年 4月12日~:本山亨,宮崎梧一,大橋進,木戸口久治(二弁出身)
⑦ 昭和57年 8月11日~:宮崎梧一,大橋進,木戸口久治
⑧ 昭和57年 8月16日~:宮崎梧一,大橋進,木戸口久治,和田誠一(大弁出身)

10 昭和57年10月1日,司法官試補30期の寺田治郎(元 東京高等裁判所長官)が第10代最高裁判所長官となる。
① 昭和59年 5月 5日~:大橋進,木戸口久治,和田誠一
② 昭和59年 5月 8日~:大橋進,木戸口久治,和田誠一,島谷六郎(一弁出身)

11 昭和60年11月5日,高輪1期の矢口洪一(元 東京高等裁判所長官)(高輪1期)が第11代最高裁判所長官となる。
① 昭和61年 1月 9日~:大橋進,和田誠一,島谷六郎
② 昭和61年 1月17日~:大橋進,和田誠一,島谷六郎,坂上壽夫(二弁出身)
③ 昭和61年 4月24日~:大橋進,島谷六郎,坂上壽夫
④ 昭和61年 5月21日~:大橋進,島谷六郎,坂上壽夫,佐藤哲郎(東弁出身)
⑤ 昭和61年 6月13日~:島谷六郎,坂上壽夫,佐藤哲郎,林藤之輔(1期・大弁出身)
⑥ 昭和62年 8月 7日~:島谷六郎,坂上壽夫,佐藤哲郎
⑦ 昭和62年 9月 5日~:島谷六郎,坂上壽夫,佐藤哲郎,奥野久之(神戸弁出身)
⑧ 平成2年 1月 5日~:島谷六郎,坂上壽夫,奥野久之
⑨ 平成2年 1月11日~:島谷六郎,坂上壽夫,奥野久之,橋元四郎平(6期・元 日弁連事務総長)
⑩ 平成2年 1月24日~:坂上壽夫,奥野久之,橋元四郎平

12 平成2年2月20日,3期の草場良八(元 東京高等裁判所長官)が第12代最高裁判所長官となる。
① 平成2年 2月20日~:坂上壽夫,奥野久之,橋元四郎平,佐藤庄一郎(2期・元 日弁連事務総長)
② 平成2年 8月27日~: 坂上壽夫,橋元四郎平,佐藤庄一郎
③ 平成2年 9月 3日~: 坂上壽夫,橋元四郎平,佐藤庄一郎,木崎良平(3期・元 大弁会長)
④ 平成5年 4月 1日~: 橋元四郎平,佐藤庄一郎,木崎良平,大野正男(6期・元 日弁連理事)
⑤ 平成5年 4月13日~:佐藤庄一郎,木崎良平,大野正男,大白勝(6期・元 神戸弁護士会会長)
⑥ 平成6年 2月16日~:木崎良平,大野正男,大白勝,尾崎行伸(7期・元 一弁会長)
⑦ 平成6年 7月25日~:大野正男,大白勝,尾崎行伸,河合伸一(9期・元 大弁副会長)
⑧ 平成7年 2月13日~:大野正男,尾崎行伸,河合伸一,遠藤光男(7期・元 日弁連司法修習委員会委員長)

13 平成7年11月7日,7期の三好達(元 東京高等裁判所長官)が第13代最高裁判所長官となる。
① 平成9年 9月 3日~:尾崎行伸,河合伸一,遠藤光男
② 平成9年 9月 8日~:尾崎行伸,河合伸一,遠藤光男,元原利文(7期・元 神戸弁護士会会長)

14 平成9年10月31日,9期の山口繁(元 福岡高等裁判所長官)が第14代最高裁判所長官となる。
① 平成11年 4月19日~: 河合伸一,遠藤光男,元原利文
② 平成11年 4月21日~:河合伸一,遠藤光男,元原利文,梶谷玄(11期・元 一弁会長)
③ 平成12年 9月13日: 河合伸一,元原利文,梶谷玄
④ 平成12年 9月14日~:河合伸一,元原利文,梶谷玄,深澤武久(13期・元 東弁会長)
⑤ 平成13年 4月22日~: 河合伸一,梶谷玄,深澤武久
⑥ 平成13年 5月 1日~:河合伸一,梶谷玄,深澤武久,濱田邦夫(14期・元 二弁副会長)
⑦ 平成14年 6月11日~:梶谷玄,深澤武久,濱田邦夫,滝井繁男(15期・元 大弁会長)

15 平成14年11月6日,13期の町田顕(元 東京高等裁判所長官)が第15代最高裁判所長官となる。
① 平成16年 1月 5日:梶谷玄,濱田邦夫,滝井繁男
② 平成16年 1月 6日~:梶谷玄,濱田邦夫,滝井繁男,才口千晴(18期・元 日弁連倒産法改正問題検討委員会委員長)
③ 平成17年 1月15日~: 濱田邦夫,滝井繁男,才口千晴
④ 平成17年 1月19日~:濱田邦夫,滝井繁男,才口千晴,中川了滋(16期・一弁出身)
⑤ 平成18年 5月24日:滝井繁男,才口千晴,中川了滋
⑥ 平成18年 5月25日~:滝井繁男,才口千晴,中川了滋,那須弘平(21期・元 二弁副会長)

16 平成18年10月16日,16期の島田仁郎(元 大阪高等裁判所長官)が第16代最高裁判所長官となる。
① 平成18年10月31日:才口千晴,中川了滋,那須弘平
② 平成18年11月 1日~:才口千晴,中川了滋,那須弘平,田原睦夫(21期・元 日弁連司法制度調査会副会長)
③ 平成20年 9月 3日~:中川了滋,那須弘平,田原睦夫,宮川光治(20期・元 日弁連懲戒委員会委員長)

17 平成20年11月25日,21期の竹崎博允(元 東京高等裁判所長官)が第17代最高裁判所長官となる。
① 平成21年12月23日~: 那須弘平,田原睦夫,宮川光治
② 平成21年12月28日~:那須弘平,田原睦夫,宮川光治,須藤正彦(22期・元 日弁連綱紀委員会委員長)
③ 平成24年 2月11日~: 田原睦夫,宮川光治,須藤正彦
④ 平成24年 2月13日~:田原睦夫,宮川光治,須藤正彦,大橋正春(24期・元 一弁民事訴訟問題等特別委員会委員長)
⑤ 平成24年 2月28日: 田原睦夫,須藤正彦,大橋正春
⑥ 平成24年 3月 1日~:田原睦夫,須藤正彦,大橋正春,山浦善樹(26期・元 日弁連司法修習委員会副委員長)
⑦ 平成24年12月27日~: 田原睦夫,大橋正春,山浦善樹
⑧ 平成25年 2月 6日~: 田原睦夫,大橋正春,山浦善樹,鬼丸かおる(27期・元 東弁高齢者・障害者の権利に関する特別委員会委員長)
⑨ 平成25年 4月23日~: 大橋正春,山浦善樹,鬼丸かおる
⑩ 平成25年 4月25日~:大橋正春,山浦善樹,鬼丸かおる,木内道祥(27期・元 大弁ハーグ条約問題検討プロジェクトチーム座長)

18 平成26年4月1日,26期の寺田逸郎(元 広島高等裁判所長官)が第18代最高裁判所長官となる。
① 平成28年 7月 4日~:大橋正春,鬼丸かおる,木内道祥
② 平成28年 7月19日~:大橋正春,鬼丸かおる,木内道祥 ,木澤克之(29期・元 東弁司法修習委員会委員長)
③ 平成29年 2月 6日~:大橋正春,鬼丸かおる,木内道祥 ,木澤克之,山口厚(期外・一弁出身・元 東京大学大学院法学政治学研究科長)
④ 平成29年 3月31日~:鬼丸かおる,木内道祥 ,木澤克之,山口厚
⑤ 平成30年 1月 2日~:鬼丸かおる,木澤克之,山口厚

19 平成30年1月9日,29期の大谷直人(元 大阪高等裁判所長官)が第19代最高裁判所長官となる。
① 平成30年 1月 9日~:鬼丸かおる,木澤克之,山口厚,宮崎裕子(31期・一弁出身・元 東京大学法科大学院客員教授)
② 平成31年 2月 7日~:木澤克之,山口厚,宮崎裕子
③ 平成31年 2月13日~:木澤克之,山口厚,宮崎裕子,草野耕一(32期・一弁出身・元 東京大学大学院法学政治学研究科客員教授)

第2 日弁連推薦以外の弁護士が最高裁判所判事に就任した事例等

1 日弁連推薦以外の弁護士が最高裁判事に就任した事例
(1) 大塚喜一郎最高裁判所判事の事例(第2次田中角栄内閣
ア   大弁出身の色川幸太郎最高裁判事の後任として昭和48年2月2日に最高裁判所判事に就任した大塚喜一郎(一弁出身)は,日弁連推薦の弁護士ではありませんでした。
   しかし,本人によれば,「最高裁や内閣から「あなたをおいてほかにない。」といわれ,もし断って在野法曹出身が減らされては大変だし,日弁連の幹部とも話し合って引き受けることにした」と話したそうです(最高裁物語(下)129頁参照)。
   このとき,日弁連は京都の大学教授など9人を推薦したそうですし,昭和48年2月2日,日弁連幹部が後藤田正晴内閣官房副長官に会って抗議をしたそうです(最高裁全裁判官-人と判決-185頁)。
イ 大塚喜一郎は,日弁連事務総長及び第一東京弁護士会会長の経験があります。
ウ 日弁連は,昭和48年5月26日,最高裁判所裁判官の任命に関する決議を出したところ,決議理由には「少くとも、何人かの最高裁判所裁判官の任命については、何らかの政治的配慮によって恣意的になされたものではなかろうかとする国民の疑惑が深まっている。たとえば最高裁事務総長時代に司法の独立の問題について重大なかかわりを持ち、当連合会も強く批判したことのある裁判官を任命したこと、もと駐米大使として極めて政治色の強い発言を繰り返し当時問題とされた裁判官を任命したこと、当連合会の推薦を無視した任命がなされたこと、あるいは田中裁判官が任期なかばにして最高裁判所裁判官を辞任したことなどについて、国民が強い疑問を持ったことを否定するわけにいかない。」などと書いてあります。
   なお,昭和46年4月27日以降,弁護士出身の最高裁判所裁判官が4人となっていました。
(2) 本山亨最高裁判所判事の事例(福田赳夫内閣
ア 一弁出身の藤林益三最高裁判所長官の定年退官に伴う玉突き人事として昭和52年8月26日に最高裁判所判事に就任した本山亨(名古屋弁出身)は,日弁連推薦の弁護士ではありませんでしたが,財界などから強い支持がありましたし,東京以外の弁護士会からの起用が4年前に定年退官した色川幸太郎以来なかったので,起用されました。
   このとき,日弁連は塚本頼重弁護士(東弁)を強く推薦していたものの,裁判官時代の同期の裁判官がまだ高裁や最高裁事務総局にいるなどとして時期尚早として見送られました(最高裁全裁判官-人と判決-218頁)。
イ 本山亨弁護士は,昭和52年4月3日に定年退官が発令された下田武三最高裁判所判事(元 外務事務次官)の後任として,弁護士枠を5人に回復することを目指した日弁連によって,他の弁護士と一緒に推薦されたことがありました(東京弁護士会百年史960頁及び961頁参照)。
ウ   塚本頼重弁護士は,東弁出身の本林譲最高裁判所判事の後任として昭和56年10月17日に最高裁判所判事に就任しました。
(3) 山口厚最高裁判所判事の事例(第3次安倍第2次改造内閣
ア 行政官出身の桜井龍子最高裁判所判事の後任として平成29年2月6日に最高裁判所判事に就任した山口厚東京大学名誉教授は,日弁連推薦の弁護士ではありませんでした。
   また,同人は,平成28年8月1日に弁護士登録をしたばかりの人です(一弁出身。弁護士登録番号は53854番)から,弁護士出身といえるかどうかについては意見が分かれています。
イ   仮に同人が弁護士出身の最高裁判所判事ではないとした場合,大橋正春最高裁判所判事(元 日弁連法科大学院センター委員長・一弁出身)が定年退官した後の平成29年3月31日以降,弁護士出身の最高裁判所判事の人数は3人になったこととなります。
ウ 山口厚弁護士は,大塚喜一郎弁護士及び本山亨弁護士以上に日弁連との接点のない人でした。
エ 金岡法律事務所HP「弁護士会推薦枠の最高裁判事が任命されなかった事態について」(平成29年3月18日付)が載っています。

2 その他日弁連が抗議した事例
(1) 日弁連は,昭和38年5月25日,以下の内容からなる「最高裁判所判事後任推せんに関する声明」を発表しました。
  今次定年退官する最高裁判所判事の後任推薦に関して最高裁判所のとった措置は、司法の円満なる運営を阻害するものであり、極めて遺憾である。
  右声明する。
(2) 最高裁全裁判官-人と判決-110頁及び111頁には,最高検次長検事から最高裁判所判事になった長部謹吾(おさべきんご)に関して以下の記載があります。
   最高裁入りは三八年四月五日。六二歳のとき。高木常七の後任であった。
   高木は弁謹士出身だったが、日弁連に適任者がなかったためである。日弁連では当初、名古屋高裁長官の近藤倫二(第一東京弁護士会出身)ら三人の候補をあげていた。最高裁も異論がなく、中垣国男法相も近藤の起用に決める腹づもりでいた。
   しかし、裁判官、弁護士、学識経験者のそれぞれ五人ずつの出身構成が、弁護士会側の後任難のため崩れかけ、裁判官出身者の比率が多くなるのを懸念し、いったん裁判官となった人より生粋の弁護士を、と考慮した。
   ところが、適任者がおらず、ひとまず、三八年五月に退官する検察官(池田克)の枠を、今度の弁護士の枠に振り替え、長部の起用となった。
   これより前の三六年に死去した高橋潔の後任人事のときも弁護士出身に適任者がなく、東京高裁長官の横田正俊が起用された前例があり、そのときとほぼ同じ形となった。

第3 弁護士出身の最高裁判所判事の任期が短い理由

1 宮川光治弁護士(平成20年9月3日から平成24年2月27日までの最高裁判所判事)は,自由と正義2013年6月号20頁において以下のことを書いています。
   我が国の最高裁判事の任期は短い。なかでも弁護士出身の判事,とりわけ私と同じ東京弁護士会出身の判事の任期はこれまで短い人が少なくない。近年でも3年余の人が幾人もいる。その理由について,デヴィット・S・ロー(西川伸一訳)「保守的最高裁の解剖-日本の司法を審査する-」政経論叢79巻1・2号(2010年)は,リベラル派リスクへの対応であるとしている。憶測にすぎないと思う。理由は,一つには弁護士会が候補者の推薦にあたり高裁長官からなる人たちより任期が長くならないよう抑制してきたことにある。二つには,弁護士会枠というのが最近までは厳然としてあって,かつて5人だった弁護士出身の判事が4人となって以降,東京,第一東京,第二東京,大阪の4弁護士会で弁護士出身判事4人のポストを分け合ってきた。最大弁護士会である東京弁護士会は二人から一人となり,適格者が多く任期を短くするほかなかったことがある。任期が7,8年ある人には実際に声がかからなかったのである。近年,弁護士会枠が少し揺らいできて,日弁連が広く日弁連全体に適任者を求める方向にあるのはよいことである。さらに,10年は仕事をすることができるよう,60歳前後の人たちを中心に推薦すべきであろう。数年程度の任期では軌道に乗ったときに退官となる。活力ある最高裁とするためには,ひとりひとりの判事の個性が輝くとともに,国民に名をよく知ってもらうことが必要である。出たり入ったりの回転ドア人事では,いつまでも「名もない顔もない司法」(ダニエル・H・フット)と言われ続けるであろう。

2 東弁リブラ2012年6月号に「前最高裁判所判事 宮川光治会員」が載っています。

第4 弁護士出身の最高裁判所判事の就任体験談

◯一橋大学機関リポジトリに載ってある「最高裁判所判事になったマチ弁の随想」には以下の記載があります(末尾218頁)。

   平成24年3月1日には宮川光治さん(元最高裁判所裁判官)が70歳になるので裁判官の席があきます。宮川先生が退官する1年少し前に「立候補する方は誰かいませんか」と東京弁護士会で公募があったそうですが,私はマチ弁として,それも群から少し離れたお気の毒な弁護士として,ひとり,対人援助業に明け暮れていましたから,そういうことに興味がなく,全然知りませんでした。ある日,ロースクールの期末試験の準備のため事務所で残業をしていたら,夜9時ころに親しい弁護士から電話が来て「宮川さんの後任に東弁では誰も立候補しないようだ,おまえ出ないか」と言うので,「え! 誰も出ないの,それじゃあもったいない,僕が出るよ」と,その場で決めました。その夜のうちに派閥の弁護士に「どうやったら立候補できるの」と聞いたら「いや,もう今年は適任者がいないので推薦しないことになっていますから,あしからず,ご自分でやってください」という返事でした。派閥の推薦が無くても7人の推薦人があればいいということだったので,親しい人や,僕は司法研修所の教え子がいっぱいいますから(笑),すぐ7人集めて立候補届出の締切りの当日に提出しました。そのあとは3月に東弁,10月に日弁連の推薦があり,翌年1月に閣議決定があり,3月1日に就任したのです。
   今から考えると,あの日に事務所で残業をしていなければ,そしてあの電話がなければ,おそらく私は裁判官になっていませんでした。そして,その日のうちに決断して手を挙げなければ何も起きませんでした。すべてが偶然です。

第5 最高裁判所判事の旧姓使用等

1(1) 「裁判所職員の旧姓使用について」(平成29年7月3日付の最高裁判所事務総長通達)に基づき,平成29年9月1日以降,裁判所職員は判決書等でも旧姓を使用できるようになりました。
   そして,平成30年1月9日就任の宮崎裕子弁護士(31期)の「宮崎」は職務上の氏名かつ旧姓です(「深山卓也及び竹内(宮崎)裕子を最高裁判所判事に任命した際の閣議書」参照)から,同人は旧姓を使用する初めての最高裁判所判事となります。
(2) 宮崎裕子弁護士は,所属弁護士会又は日弁連における活動実績が特にないといわれています。
(3) 当初の報道では,戸籍名の「竹内裕子」という氏名が記載されていました(5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)の「【人事】最高裁長官 大谷直人氏起用を閣議決定 来月9日づけで発令 」参照)。
(4) 同姓同名の別人の弁護士として,48期の宮崎裕子弁護士(登録番号24661)がいます。

2(1) 宮崎裕子弁護士(登録番号16685)は,最高裁判所判事への就任が内定した後と思われる平成29年12月に弁護士氏名変更の届出を行い,かつ,弁護士の職務上の氏名として「宮崎」姓を使用するという届出をしました(平成30年2月6日官報号外第25号22頁)。
(2) 弁護士が戸籍上の氏名以外の氏名を職務上の氏名として使用するためには日弁連への届出が必要です(職務上の氏名に関する規程2条,職務上の氏名に関する規則2条1項1号)。
   そのため,宮崎裕子弁護士が,日弁連への届出以前の段階で,職務上の氏名として「宮崎」姓を使用していた法的根拠は不明です。

3   平成20年9月11日任命の櫻井龍子最高裁判所判事(元 労働省女性局長)は,最高裁判所判事に就任する前は旧姓の「藤井」を使用していましたが,最高裁判所判事就任に伴い,戸籍姓である「櫻井」を使用するようになりました。

平成30年2月6日官報号外第25号22頁(宮崎裕子弁護士(登録番号16685番)に関する「弁護士氏名変更の公告」及び「弁護士の職務上の氏名の使用」が載っています。)

第6 大阪弁護士会出身の最高裁判所判事の一覧

○大阪弁護士会出身の最高裁判所判事9人は以下のとおりであり(リンク先はWikipediaであり,括弧内の記載は最高裁判所判事在任期間です。),平成2年9月3日から平成30年1月1日までの間,途切れることなく最高裁判所判事を輩出していました。
 
1 小谷勝重最高裁判所判事(昭和22年8月4日~昭和35年12月23日)
・ 法政大学法科卒業であり,定年退官後の昭和38年10月27日に72歳で死亡しました。
 
2 色川幸太郎最高裁判所判事(昭和41年5月10日~昭和48年1月29日)
・ 東京帝国大学法学部卒業であり,色川法律事務所の創業者であり,元 大阪弁護士会会長であり(色川法律事務所HPの「~受け継がれた道のり~」参照),定年退官後の平成5年8月5日に90歳で死亡しました。
 
3 高輪2期の和田誠一最高裁判所判事(昭和57年8月16日~昭和61年4月23日)
・ 東京帝国大学法学部卒業であり,死亡退官しました。
 
4 1期の林藤之輔最高裁判所判事(昭和61年6月13日~昭和62年8月6日)
・ 東京帝国大学法学部卒業であり,色川法律事務所出身の弁護士であり,死亡退官しました(色川法律事務所HPの「~受け継がれた道のり~」参照)。
 
5 3期の木崎良平最高裁判所判事(平成2年9月3日~平成6年7月24日)
・ 京都大学法学部卒業であり,元 大阪弁護士会会長であり,定年退官後の平成17年8月15日に死亡しました。
 
6 9期の河合伸一最高裁判所判事(平成6年7月25日~平成14年6月10日)
・ 京都大学法学部卒業であり,元 大阪弁護士会会長であり,定年退官後の平成15年1月,アンダーソン・毛利・友常法律事務所顧問に就任しました(同事務所HPの「河合伸一」参照)。
 
7 15期の滝井繁男最高裁判所判事(平成14年6月11日~平成18年10月30日)
・ 京都大学法学部卒業であり,元 大阪弁護士会会長であり,定年退官後の平成27年2月28日に78歳で死亡しました。
 
8 21期の田原睦夫最高裁判所判事(平成18年11月1日~平成25年4月22日)
・ 京都大学法学部卒業であり,元 日弁連司法制度調査会副委員長であり,定年退官後の平成28年2月19日に72歳で死亡しました。
 
9 27期の木内道祥最高裁判所判事(平成25年4月25日~平成30年1月1日)
・ 東京大学法学部卒業であり,元 大阪弁護士会ハーグ条約問題検討プロジェクトチーム座長でした。

第7 日弁連最高裁判所裁判官推薦諮問委員会

1 法曹制度検討会の,平成14年11月12日の第12回配付資料のうち,「日弁連における最高裁判所裁判官推薦方法」及び「資料1 日弁連最高裁判所裁判官推薦諮問委員会に関する資料」にあるとおり,日弁連は,日弁連内に設置した最高裁判所裁判官推薦諮問委員会の答申に基づき,最高裁判所に対し,弁護士枠の最高裁判所判事候補者を推薦しています。
   その際,候補者に順位を付けているみたいです(平成21年11月17日全部改正後の「日本弁護士連合会が推薦する最高裁判所裁判官候補者の選考に関する運用基準」6条参照)。

2(1) 日弁連会長は,日弁連推薦の手続が完了したときは,日弁連推薦にかかる候補者の氏名並びに審議の経過及び内容を日弁連理事会に報告します(「日本弁護士連合会が推薦する最高裁判所裁判官候補者の選考に関する運用基準」7条1項)。
   また,日弁連会長は,最高裁判所裁判官の任命行為が完了したときは,日弁連が推薦し,任命された最高裁判所裁判官の氏名及び推薦理由を会員に公表しています(「日本弁護士連合会が推薦する最高裁判所裁判官候補者の選考に関する運用基準」7条2項)。
(2) 日弁連会員は,日弁連会長の許可をもらえれば,日弁連理事会の議事録の閲覧又は謄写をすることができます(議事規程59条4項)。
   ただし,私は日弁連理事会の議事録の閲覧・謄写申請をしたことがありませんから,どのような場合に日弁連会長の許可をもらえるのかは知りません。

第8 その他

1 昭和26年10月5日から昭和33年6月2日までの間,最高裁判所判事をしていた小林俊三(定年退官)は戦前,二弁の弁護士でした。
   しかし,昭和22年12月23日に東京高等裁判所長官に就任していたため,裁判官枠としてカウントされています。

2 昭和54年4月2日から昭和56年10月17日まで最高裁判所判事をしていた塚本重頼(病気を理由に依願退官)は最初の8年間,裁判官をしていました。
   しかし,昭和22年に弁護士に転身しましたから,弁護士枠としてカウントされています。

3 平成6年7月25日から平成14年6月10日まで最高裁判所判事をしていた河合伸一は最初の5年間,裁判官をしていました。
   しかし,昭和37年に弁護士に転身しましたから,弁護士枠としてカウントされています。

4 平成14年6月に定年退官した河合伸一最高裁判所判事以降,最高裁判所判事就任時の弁護士登録番号で,最高裁判所判事退官後に弁護士登録できるようになりました(東洋経済オンラインHPの「日本の”ナンバーワン”弁護士は誰だ!?」参照)。

1(1) 交通事故(検察審査会を含む。)及び債務整理の初回の面談相談は無料であり,相続情報公開請求等の面談相談は30分3000円(税込み)です。
   交通事故及び債務整理については,無料の電話相談もやっています。
(2) 相談予約の電話番号は「お問い合わせ」に載せています。
 
2 執務時間は原則として平日の午前10時から午後7時30分までですが,事前のご予約があれば,午後8時30分まで夜間相談可能です。
 
3 弁護士山中理司(大阪弁護士会所属)については,略歴及び取扱事件弁護士費用事件ご依頼までの流れ,「〒530-0047 大阪市北区西天満4丁目7番3号 冠山ビル2・3階」にある林弘法律事務所の地図を参照してください。